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■トップインタビュー


代表取締役 平林弘道

■1941年11月生まれ
■1968年3月中央大学理工学部卒
■1984年1月インターフェイス株式会社設立
■1986年東京事業所開設
■2003年立川市に自社ビルを建設

趣味:海辺を散歩
好きな言葉:少年よ大志を抱け

メッセージ

ITベンチャーの草分けとして

私は、大学を出てからずっと東京でソフトウェアの開発の仕事に就いていました。コンピューターの草創期で、まだITという言葉もなかった時代でしたが、次々と誕生する新しい技術に立ち会える、とてもエキセントリックな時代でした。
景気も拡大期でしたし、「独立したい、地元で活動したい」という思いが強くなってきて、1984年、地元長野でインターフェイス株式会社を立ち上げました。今でいうなら「Uターン型ITベンチャー」ですよ。

若者の挑戦は会社の財産


今でこそベンチャーとか脱サラ企業は当たり前だけど、当時は文字通り「冒険」で、最初は失敗と苦労の連続でした。
でも私は、「面白くて難しくて、前人未踏の新しいことに挑戦する」のが大好きで、独創的な会社をつくりたかった。
独創的な会社は、独創的な人材がすべて。独創的な人材とは失敗を恐れずチャレンジを重ねる精神。チャレンジの結果としての失敗など、まったく問題にしません。
当社を利用して、新しいこと、困難なことにどんどんチャレンジしてほしい。そして翼を広げた奥行きのある技術者として羽ばたいてほしい。

 

インタビュー

▼今でこそベンチャーとか脱サラ起業ということが当たり前のように言われていますが、社長は何故この様な会社を興したのですか?

「もともとずっと東京でソフトウェアの開発をやっていたんだけど、誰でも田舎には帰りたいでしょ?だからいったんは(諏訪に)帰ってきたんだけど、諏訪には製造業は沢山あるんだけどソフトウェアの開発から商品開発までを手がける企業がほとんどなかったんだね。
社長は皆立って仕事していて、設計なんてやっていないの。こんなことじゃ長く食っていけないだろうと。だったら自分でやっちゃえということで始めたんだね。それと僕らの時代は景気の拡大期で広がりがあったし独立していった仲間も多かったからね」

▼創業時のご苦労もあったと思いますが、数年で東京に進出していますね?

「今でこそ地元の有数な大手メーカーともお付き合いはあるけれども、当時は結構保守的でね。最初は東京の知り合いから測定器の仕事をもらって始めたね。
独立には結構勇気も要ったけど、だめならタクシーの運転手にでもなろうかとか、酒類販売の免許でも取って酒屋をはじめようかなとか、最終的には畑も田んぼもあるから何とかなるだろうって。
結局数年たって実績がついたところで安定的な仕事は諏訪でやって、自分が目指す仕事は東京に求めようと思って出てきたね」

▼なぜ難しいといわれるファームウェアの開発をあえてやっているのですか?

「製造だけじゃなくて製品までも造っていかないと長く食えない。
先ずはそれを補完するファームウェアを中心に手がけていこうと」

▼一言でファームウェアの開発といっても御社の開発実績を見るといろいろあって驚きます。最近はUSB技術に関する開発が多いようですが?

「うちのやっている部分ていうのは、ファームウェアと呼ばれる、I/Oと言い換えてもいいんだが非常にベーシックな部分、例えばドライバー、ミドルウェアと呼ばれる物が基本になる部分だね。これはものすごく難しい分野でね、だからあえてやっているんだよ。
ほかではなかなか手が出せないから。USBについてはもう10年以上前から手を染め、ミドルウェア製品をラインナップして汎用USBミドルウェアの分野では一定の企業地位を築いてきた。最近はその先の応用としてASIOドライバーというものを製品化して、音楽/電子楽器業界でこの分野トップシェアを確立して最終的には社会への恩返しをしたいと思っているんだよ。」

▼主流となったUSB技術は競争もあるのでは?その他の分野でも御社の強みとは?

「ひとくちにUSBといっても実際には結構幅が広い。メーカーによっても石(CPU)によっても微妙に違うんだよね。うちは全部知っているから。開発を依頼する方も安心なんだね。そこがうちの絶対的な強み。
それとマイコンの応用開発というソフトとハードを両方やってきたからこそ本当の性能というものを追求することができたということもあるね。さっき言ったASIOドライバーというのは、音をパソコンに取り込むキモの部分で、この良し悪しで音質が全く変わってしまう。ソフトだけでなくハードも、更にはハードの中でもデジタルだけでなくアナログも、と設立以来一貫してやってきてこそできる技なんだね。
インターフェイスという社名は人と機械をつなぐインターフェイスという意味なんだけど、まさにASIOドライバーは五感のうちのひとつ「音」をインターフェイスするものなんだね。」

▼先端の技術を極限まで活かしきっている事が御社の強みなんですね?

「だからうちの技術者は大変だよ。本当にコンピューター関係の開発が好きじゃないとやっていけない。
開発っていうとなんとなく皆やってみたいんじゃないかな?でも開発っていうのはある意味苦しみの連続なんだね。なぜなら仕事としてやっていく以上は納期と品質を同時に満たした上で会社としてきちんとした利益をだしていかなきゃいけないし、なおかついつもそれ以上の物を目指していかなければいけない。だから常に走りながら勉強をしていかなければならないということになる。ましてや自分がやったものを他人に任してしまうというわけにはいかない。体力的にもきつい仕事だ。だから苦しいんだよ。
でも本当に好きな奴は困難を苦痛と感じないし、むしろやり甲斐に転換していけるんだよね。これは技術者としてのセンスの良さとも捕らえられるんだけど、これを見極めるのは本当に大変だね。本人もやってみないと分からないんじゃないかな?」

▼営業専門の担当者も置いているようですが?

「開発が主体のソフトウェア会社だからといって営業が不要ということはない。むしろものすごく重要だ。常に新規の開発案件を探していかなきゃいけないからそういう意味で大変だ。新規といっても開発テーマもあるし、新規顧客そのものもある。
うちの場合、例えばUSBという規格があって、この規格を使って何ができるかという応用面を一生懸命探しているわけ。いずれにしても物を売り歩く営業じゃないから、相当に意識の高さを求められるね。だから学生のときにどんな風に暮らしてきたかを知りたいんだ。どんなことをしてきたか、勉強、アルバイト、趣味の話を通じて納得いくまで本人と話し合いたいね」